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たとえば仮に幕末やフランス革命の時代に生まれていたら? 人を奮い立たせる大義名分の原動力って大事だよね

さて、今日はたとえば仮に幕末やフランス革命の時代に生まれていたら? 人を奮い立たせる大義名分の原動力って大事だよねという話題です。

そう、最近やっぱりよく感じることなんですが、人間って何かしらの原動力となる動機づけって大事ですよね。

例えば僕なんかだと、まず第一に小学校低学年の兄妹の子育ての真っ最中で、この子たちを一人前に育てるという父としての課題と、あとは結婚を決意した際に、妻と子供たちを幸せにするという、夫としての課題みたいな名目があって、それが今の自分の生活のすべての基盤になっている訳です。

そういう大義名分があるからこそ、自分の生活には毎日張りがあって、バタバタした日常のなかでも、なんとか心を折るようなこともなく、不安定な日々のなかでも、なんとかコンスタントに走り抜いて、頑張って過ごしていけているんだと思うんですよね。

こういう自分を奮い立たせる大義名分の原動力がなかったら、自分なんて大して目的もなく、自堕落に過ごして生きていたかも知れませんし、人間ってやっぱり動機づけが大切な生き物なんだな、なんて改めて思ったりもします。

たとえば仮に、もし自分が幕末の日本や、フランス革命時代のフランスに生まれていたら、また今とは全然違う生き方をしていたのかも知れません。

今の日本って、確かにすごく平和な時代だとは思うんですけど、なんというか、一時期の景気の良かった時代はとうに過ぎ去って、もう個人ではどうしようもないような、行き詰まりの閉塞感というか、少子高齢化社会の先細り感も相まって、ゆっくりと滅亡していく斜陽産業のような雰囲気が拭えなくなっていますよね。

こういう時代のトレンド情勢って、わりと洒落にならないくらい、個人の人生に影を落とす気がしていて、例えばバブル絶頂期の時代なんかは、景気も上り調子で仕事を頑張れば頑張るほどお金を稼げていたり、逆に今の時代なんかは、個人がそれぞれの自分にあった幸せや生活を模索するような生き方をしていたり、

もし仮に、幕末の日本に生まれていたら、きっと開国を迫られた時代のうねりと、現状の日本の社会の在り様に憂いを持った志士がたくさんいたように、熱い理想と大義名分のもと、すべてを投げ打って、自らの一生を費やしたりするのもトレンドのひとつだったように思うんですよ。

たぶんフランス革命なんかでも、理屈は同じで、現状の社会に大きな不満を持ち、それをよりよく変えられる可能性があるときなんかは、人間は自分の命より大きな大義名分を優先してしまったりする生き物なんですよね。

でもまあ、それもいまの自分の原動力が、家族を最優先に考えて行動するようになった、夫や父の立場になったから思えることで、その当時の幕末の日本や、フランス革命当時のフランスでは、きっとそれが時代のトレンドにあった生き方だったんだと思います。

きっと閉塞感漂う今の時代とは全然ちがう、熱い激動の時代だったんでしょうね。

そういう時代の熱さを全然経験していない、今の世代の自分から見ると、そういう時代に少し羨ましさを感じたり、逆にそういう時代の熱狂に翻弄されなくて良かったのかな、なんて思ったり、まあこれからの先の時代もどうなるか、未来のことなんて誰にもわかりませんし、その時その時の潮流に翻弄されつつも、必死に抗いながら生きていくのが人間の定めなのかも知れません。

以上、たとえば仮に幕末やフランス革命の時代に生まれていたら? 人を奮い立たせる大義名分の原動力って大事だよねという話題でした。

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