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大人になって、あれこれを手に入れてみて、はじめてわかる、これじゃない感って確かにあるよね。

さて、今日は大人になって、あれこれを手に入れてみて、はじめてわかる、これじゃない感って確かにあるよねという話題です。

この感覚って、大人ならたぶん誰にでも当てはまる、共感できる部分だと思うんですが、あれやこれを手に入れてみて、はじめてわかる違和感というか、求めているものはこれじゃないという感じって、確かにありますよね。

なんというか、自分自身が望んでいて、そうしたい、こうなったら良いのにな、という願望と、それを手に入れた現実とのギャップというか、苦労して手に入れた現実との折り合いの付け方の問題ですよね。

あ、最初に断っておきますが、これは別に僕の結婚生活の蓋を開けた現実のことを言っている訳じゃないですよ(笑)

まあ、実際それも多少当てはまる部分はあるんですが、僕はおおむね妻と結婚して、子どもを二人授かり、なんとか共働きで子育てをしている今の生活を、充分恵まれていると認識しています。

この生活は、自分が子どもの頃に思い描いていた、とりあえず人並みに結婚し、人並みに子どもを設け、人並みに普通に暮らすという自分自身の願望を達成した証でもありますしね。

そう、僕の子ども時代というのは、金銭的にも余裕のないシングルマザーの母のもとで、明らかにほかの一般的な人より恵まれていない、ないない尽くしの生活を送っていたので、せめて自分が大人になったら、人並みの暮らしを送りたいと願った結果でもあります。

でも、こうして自分の欲しいものや生活をあれこれと苦労しながらアプローチを繰り返し、失敗を重ねながらも手に入れてみて、初めてわかる違和感みたいなものを感じたりすることも最近は確かにあるんですよね。

いわゆる、人間のないものねだりというか、結局手に入れるまでが一番面白かったというヤツなのかも知れません。

例えばゲームなんかにしても、どんなに優れた面白い内容だったとしても、一度クリアしてしまえば、ほかにやることがなくなってつまらなくなってしまうみたいに、ああでもない、こうでもないと、試行錯誤している時が一番楽しい時期なのかも知れません。

まあ、直近の話題で言うと、息子に完全に所有権を奪われてしまったニンテンドースイッチも、2台目があれば少しは自分でもゲームで遊べるかと思い、苦労してジモティで安く引き取ってはみたものの、実際に手に入れて少しプレイしたら、結局それだけで充分で、それ以上特に遊ぶ気もしなくなった感覚と近いですね(笑)

一般論に言うなら、「我ただ足るを知る」という格言の通り、そういった感覚と折り合いを付けながら、なんとかやっていくのが大人になるということなんでしょうけれど、結局のところ、人間というのは目前に何かしらチャレンジや課題がある方がやりがいがありますし、自分の人生に退屈しないよう、計画的に何かしらの課題や挑戦内容を組み立てて、少しずつそれをクリアしていくのが一番良いのかも知れませんね。

皆さんはどうお感じになられますか?

もしよろしければ、Xでも構いませんので、ぜひご感想をお聞かせください。

以上、大人になって、あれこれを手に入れてみて、はじめてわかる、これじゃない感って確かにあるよねという話題でした。

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