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息子のこと、娘のこと

今日はもうすこし、息子と娘のことを掘り下げてご紹介します。

まず息子ですが、一言でいうといまどきの子どもらしく、ゲーム好き、動画好きのインドア派、もちろんほっておくと家にいる時は、いつまでもゲームや動画を見てるので、時間制限はしています。あと、後述しますが、僕が世界史好きなのが影響して、息子もかなりの歴史マニアになってます。フランス革命やカノッサの屈辱くらいなら、すこし話題を振るだけで喜んで延々と話続けられるくらいです。

あと、僕と息子は先天的なADHDのほかに、低緊張といって、普通の人よりも筋力が弱いという特徴があります。実際、息子はほかの児童よりもハイハイや歩くといった成長過程が遅めで、妻はその時点でかなり心配をしていました。

だから僕自身も、普段から休日なんかはジョギングや筋トレ、腕立てや腹筋、スクワットなどで体が衰えない努力は続けています。まあ、それだけやってようやく人並みレベルですが。

とりあえず息子にも、小学二年生あたりから、学校に行くまえの準備運動みたいに、日課として、腕立て、腹筋、スクワットは15回ずつさせるようにしてます。

息子は幸い、コツコツ地道に続けることができる性格のようで、そのおかげで、いまはまあ運動会などでも人並みに動けて、かけっこでビリになるようなことはなくなりました(笑)

最近は運動会のダンスでも、キビキビ動いて踊ったりして、ちょっと親として感動したりしました。

息子の勉強の方法ですが、僕自身勉強が苦手なタイプだったので、あまり机で勉強して頭に入っていくイメージがなかったんで、息子には掛け算を覚えさせるあたりから、風呂場で覚えさせていくようにしました。

息子も最初はすこし苦戦してましたが、すこしずつコツをつかんでいき、なんとか全部の段をマスターできました。ものを覚えることについては、息子は娘より素養があるようで、娘はわりと集中力が続かないんで、子どもにもそれぞれの個性や特性があるなあ、と親としてしみじみと実感したりします。

掛け算の勉強が終わったあたりから、息子には浴槽にボードを載せて、壊れても良いような安物のタブレットを用意して、動画で世界史を見せて学習させていきました。

中田敦彦さんが動画で上げている日本史や、世界史なんかは子どもでもとても見やすくて、息子もすっかり歴史好きになってくれたので、この作戦は大成功でした。

息子が定期的に通っている、小児科専門のADHDの先生いわく、最近の研究では、織田信長や、坂本龍馬なんかもおそらくADHDだったのではないか、なんて言われているみたいです。

たしかに、言われてみると彼らの逸話やエピソードなんかで、そういうフィルターで通してみると、妙に納得できる部分もあり、やはり彼らは普通の人とちょっと違うから、普通の人にできないことができたのかなあ、と思ったりもします。

僕なんかも、日常生活において、ものごとの飲み込みが遅かったりして、普段は人より劣っている部分が多いのだけれど、たまに鋭い指摘や切り口で話ができたり、人からすごいと褒められることもあります。たぶん僕たちのようなADHDの人は、野菜で例えると切り口が違うんだと思います。だから普通の人とちょっと違う視点が見えたりするんじゃないかな。

つぎに娘の話ですが、僕自身、男兄弟のなかで育ったので、娘が生まれたときは勝手がわからず、実感がなかったのですが、やはり男の子とちがって、女の子は小さいころから女の子してるというか、自己中心的ですこしワガママな感じがします。

まだ幼いころに、車で家に帰ってきて、僕がチャイルドシートから降ろして家に入るなり、ママに降ろして欲しかったと言い張り、仕切り直しでもう一度、妻と車に戻ってフラリとまた出かけたときは、さすが女の子だなあ、とびっくりしたのを良く覚えています(笑)

そんな娘ですが、愛嬌があり、表情もコロコロ変わって、写真を撮ってもインスタ映えするというか、やはり単純に女の子はかわいいな、と思ってしまいます。

とりあえず、娘はいまのところADHDの傾向はないようなんですが、すこし心電図に異常があったらしく、不整脈の疑いがあるそうで、要経過観察らしいです。

これも僕の方の血筋の遺伝みたいで、そういえば死んだ爺ちゃんも、不整脈でたまにしんどそうにしてたなあ、とか、この子も歳を重ねたら同じように苦しんだり、調子が悪くなったりするのかな、などと親としてすこし心配になったりします。

まあともあれ、人間なんて現状あるもので、それなりに工夫しながら戦って、やっていくしかない、というのが僕の生き方の信条なので、娘にも大人になったら、それなりにやっていって欲しいなあ、と思ってはいます。

僕自身、子どものころから低緊張、ADHD、経済的に恵まれないシングルマザーの環境とかいろいろと差し引いても、なんだかんだで生まれてきて良かったな、とは思っています。

子どもの時はそんな風には思えませんでした。なぜ自分はこんなハンディがあるのか、なぜ世の中はこんな不公平なのか、そんな静かな怒りを抱えながら、いつか自分の手で当たり前のしあわせを手に入れよう、漠然とそんな決意を持って生きてきたように思います。

そして、いまとなっては、それは概ね手に入っていると思います。

たぶんこれ以上を求めるのは贅沢というのでしょう。

僕も親になり、子どもができて思うことは、自分が死んでしまうことよりも、子どもが先に死んでしまったり、ニートになったり、人を殺めたりする人間になってしまうことの方がよっぽど恐ろしいと思います。だから逆算して、そんな風にならないように子供を育てていこうとは思っています。

逆に言えば、上記のような人間にならないなら、別に好きに生きてくれたら構わない、だいたいの親が考えていることなんて、そんなもんだといまは思います。