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母との関係と思い出について

今日は、僕ふるふしの母との関係と思い出について語っていこうと思います。

まず、僕は小学校の三年生の時に、父の事業が失敗し、両親はそのまま離婚、その後シングルマザーとなった母に引き取られ、母、僕、弟の三人で暮らしていました。

中学、高校のときは、母も女手ひとりで子どもを育てようと厳しかったですし、僕も思春期特有の反抗期でしたし、あんまり折り合いはよくなかったように思います。

でもまあ、母も厳しかったけど、いつもおいしいゴハンを用意してくれていましたし、その時期は僕も、そうやって料理を出してくれるのが当たり前のように思っていましたけど、いま自分が同じ親の立場になってからは、忙しいなかで頑張って作ってくれてたんだな、と感謝しています。

僕と母の関係がすこしずつ改善していったのは、自分が社会人になって、車を乗るようになり出してから、長男という立場もあり、チョコチョコと旅行や日帰り温泉などに行くようになってからでした。

僕は仕事で転勤をするまでは、生まれも育ちも大阪だったんですけど、よく近場の温泉や、となりの県の和歌山や兵庫県なんかに遊びに行ったり、おいしいものを食べに行ったりしていました。

母は野菜の直売所が好きで、僕の仕事が休みのときは、季節ごとに果物や野菜を買いに行っては、帰りに温泉に入ったりしてゆっくり過ごしていました。

僕と母は、お互い考え方や反りの合わない部分もあり、よく口げんかもしましたけど、まあ親子なんでどこでもそんなもんですよね(笑)

僕も、母が死んでから後悔するよりも、生きている間に親孝行しておこうと、北海道、沖縄、宮古島、岐阜、淡路島、愛媛、和歌山、三重、福井など、いろいろと国内旅行は連れ立って行ったものです。

そんな母とも、僕が職場で転勤を命じられて、仕事と婚活の両立の結果、妻と知り合い結婚してからは別居するようになり、いまはひとりで暮らしています。

もちろん、年に何回かは会いにいったり、孫の顔を見せに行ったり、年に一回くらいは旅行に連れて行ったりはするんですが、なにぶんお互い他府県に住んでいるので、ずいぶん会う回数は少なくなりました。

まあ、僕も所帯を持っている身なのでしょうがないんですが、せめて同じ県内でくれると良いのになあ、とは思っているんですが、母は今住んでいるところから離れるつもりはないらしく、難しいところです(笑)

そんな母も、平均的な健康寿命を超える年齢が近づいており、僕もやれるだけのことはやったつもりですが、これから先のことはどうなるかわかりません。

まあ、経済的な支援が必要な母なので、これ以上負担が大きくなるなら、なにか対処をしていかないといけないのでしょうが、なるようになっていくしかないのでしょう。

人の生き死には、自分でどうしようもない部分もあり、それを含めて生きざま、死にざまというのでしょう、母がどのよう生きざま、死にざまを見せてくれるのか、息子として最後まで見届けていこうと思っています。