さて、今回は僕の一番の強みである、習慣化することのメリットとその継続の秘訣を皆さんにお伝えしようと思います。
これは、僕にも息子にも言えることで、最大の長所のひとつなんですが、なにかこれが良いと決めると粘り強く継続できるという強みがあります。
僕自身、若い頃に始めたジョギングを断片的に途絶えた時期(膝の不調や体調不良のため)があるにせよ、今でも最低一週間に一度は走り続ける習慣を約28年ほど継続していますし、楽器を始めようと思ってやり始めた篠笛は、0からのスタートで約1年半ほど練習を続けて、祭囃子の有名所のフレーズくらいは吹けるようになりましたし、このブログにしても子どもを独りで見ないといけない時以外はだいたい1日1記事くらいのペースで記事を書き続けていられています。
息子も僕と同じような性質を受け継いでくれているのか、小学校にあがる頃に始めた筋トレは、毎日学校に行く前のルーチンワークとして、たいして嫌がりもせずいまでも続けていますし、お風呂に入りながらのタブレット学習も、すっかり習慣化して当たり前のように新しい知識をインプットしていってくれています。
まあ、僕自身、発達障害という言葉自体はほとんど意識していませんでしたが、若い頃から普通の人とやはりすこし違うという部分を自覚していましたので、その分を補おうという気持ちから始めた習慣なんですが、いまにして思えば、これはADHDを抱えた人にとっては大変有効な手段だったんではないかと思っています。
僕の場合ですが、継続できる秘訣として、人に教えられるとするならば、まずは自分の頭で考えて、継続することで得られるベネフィット、利益や恩恵、便益なんかを常に目の前にブラさげて、動機づけや目的意識にしている点ですかね。
例えば、ジョギングや筋トレなんかは、僕や息子のような先天的な低緊張体質という、生まれつき筋肉の弱い人間にとって、人並みに身体を動せたり、筋力を維持するための基礎的な訓練になりますし、それをしなければ人並み以下になるのは目に見えているので、僕のように身体が資本の仕事をしている人間にとっては必須の作業だと思ってやっているわけです。
同じように、篠笛の練習は地域のコミュニティに暮らす人間にとって、祭囃子に参加することによって横繋がりのできる大切な技術ですし、このブログにしても、副収入を得るための生活の手段のひとつなわけで、どれひとつとっても無駄のない恩恵があるからこそ、続ける意味や価値があって継続できるんですよね。
もちろん、僕も人の子ですから、ジョギングにしても、朝外に出るのがとても億劫になるときも当然ありますし、篠笛だってうまく上達できるか全くわからず、やめようかと思った時も何度もありますし、このブログにしても、成功なんて雲を掴むような話で、別の路線に変更しようか、そもそもブログ自体を継続できず、だいたい9割の人が途中で挫折するという現実もすごく共感できたりしています。
でも、それを言うなら、僕は妻と知り合って結婚するまでの婚活の時期なんかも、いまと同じような状況でしたし、その時期だって全く先も見えず、成功も雲を掴むような話でしたし、右も左もわからず、何か正解で何が不正解なのか、あがいてもがいて、ひどい失敗ばかりしていたんですが、結局成功するまで諦めなかったからこそ、今があるわけで、ひどい時期は今にして思えば、ほんの少しの期間だけの話で、そこを過ぎれば順調にいっている時の方がはるかに長くなるのを経験的に知っているからこそ、苦境をやり過ごすことができるんですよね。
だから僕は、自分が人より優れている部分なんか何もなくても、人生をうまくいかせる自信というか、経験があって、それが根拠として心の拠り所になっている気がしますし、同じように人に習慣化することの強みをおすすめすることができるんだと思います。
皆さんも、ぜひそこに継続する利益や恩恵、便益が待っているなら、それを信じてやれるだけのことをやってみたら良いですよ。
成功、不成功は誰にもわかりませんが、挑戦してがんばることは、決して無駄にはなりませんし、とても尊い姿勢だと思います。
まあ、失敗した時のリスクと相談しながら、重たいリスクなんかは当然避けるべきですなんですけどね(笑)
以上、習慣化することの強み 僕が28年間ジョギングを継続できた理由(ワケ)という話題でした。