プロフィール

はじめまして、ふるふしと申します。

ハンドルネームの由来は、自分の好きなタロットカードの愚者、「The Fool Who Seeks(探し求める愚か者)」から取りました。

現在、妻と共働きしながら、2児の子育て真っ最中です。

子どもたちは、小学校低学年の年子で、上が男の子、下が女の子です。

上の子は最近、ADHD(注意欠如 多動症)と診断され、定期的に専門の小児科で、カウンセリングを受けています。

上の子どもがADHDと診断された時は、僕自身すこしショックでしたが、いろいろと調べていくうちに、親からの遺伝の確率が約70%程度とわかり、おそらく自分の遺伝なのだろうと感じています。

僕も、あまり今まで自分がADHDという自覚がなかったのですが、たしかに言われてみれば、自分のことで思い当たる節がいくつかありました。

人よりものごとの飲み込みが悪く、学校の授業も、先生の話を聞きながらノートを取るのが苦手、(ノートを書くか、話を聞くか、どちらか片方しか集中できない)この場合、ADHDというよりLD(学習障害)といった方が近いでしょうね。

受験勉強そのものが苦手、(何か集中して覚えるときは、風呂場か車の運転中の聞き流しでしか頭に入らない)何か難しくて取っ付きづらい文章を見ると雰囲気に気圧されてしまい、集中できず逃避行動に出てしまう。

失せもの探しがポンコツで、いつもと違う場所からものがくなると、途端に見つけるのが困難になる(妻からいつも「ここにあるでしょ!」と怒られる)などなど。

息子も、フォーマットとしての頭は悪くないようですが、(掛け算とかはわりとスラスラ覚えられた)自分の興味がないことに無頓着で、何度注意しても服やズボンの前とうしろ、表ウラを確認できない。あまり空気が読めず、自分の興味があることを延々と話し続ける、ひとつの事に集中しすぎて、話しかけられても聞きこぼしが多い、などなど。

親として、いろいろと心配になる部分が多い息子なんですが、振り返ってみると、僕が小学校の頃に離婚した、自分の父親もすこし人とちがっていたような気がします。

2ちゃんねるの創設者ひろゆきさんみたいに時間を守るのが苦手な人でしたし。

明るい人でしたが、「男はつらいよ」の寅さんや、「じゃりン子チエ」のテツみたいにグレーゾーンの多い人だったように思います。

いま、自分があの頃の父親の年齢を越えた世代になって思うのですが、僕の父親はたぶん、普通に生きたくても、どうしても普通に生きられない人だったんじゃないかと思います。

僕自身、子どもがADHDと診断されて、自身もそうなんだと思うところがありますが、会社でそれを公表しようとは決して思いません。

公表した所で、変なレッテルを張られるデメリットしか感じないからです。

今にして思うのは、自分が子どもの時は、父親のそういういい加減な部分が嫌いで許せないと思っていましたが、今では父親もきっと自分自身と世の中と折り合いがつけるのが大変だった人なんだろうなと思います。

はじめに言っておくと、僕はいまとてもしあわせに暮らしています。

息子や、自分のことでいろいろとありますが、遺伝子の先天的なもので悩んでもはじまりません。

これから先、例えば仮にテクノロジーが発展して、遺伝子を書き換えられるようになって、ADHDが根本的に治せるなら問題は解決するのでしょうが、いまそれができないのであれば、いまあるものでやっていくしかないと思っています。

だいたい人間の悩みなんて、だいたい環境によるものか、遺伝子に刻まれている生老病死に携わるものばかりです。

僕も若い頃は他人とちがうことに悩んだりしましたが、いまこうやって、自分が親の世代になると、あるものでやっていって、そこそこしあわせに暮らしていると思います。

それにこうやってブログを発信するにあたって、自身や息子がADHDであることは、独自性のつよみになると思っています。秘匿性も守られますしね。

このブログは、そんな僕や息子のちょっとした日常や、子育ての雑感をあまり肩肘を張らずに、徒然なるままにアップしていこうと思っています。

皆さんもどうぞお気軽に読んでいたけると幸いです。