さて、今日は僕が思春期だった頃に抱えていた、漠然とした悩みごとについてという話題です。
突然なぜこんな話題をあげようと思ったのかと言いますと、たぶん僕のブログを見に来てくださる方というのは、ADHDのお子さんの、子育てや思春期の対応に困っている親御さんが多いかと思ったからで、そんなことを考えているうちに、そういえば、僕も思春期のときは、漠然とした悩みを誰にも打ち明けられずに抱えていたなあ、なんてふと懐かしく思い出したりしたからなんです。
僕のこんな実体験は、誰かのお役に立つかはわかりませんが、もし何かの参考になればとても幸いです。
僕の思春期の頃の悩みというのは、概ねシングルマザーの自分の貧しい家庭のことであって、それは割とどうしようもない状況で、独りで頑張っている母を責めるわけにもいかず、かといって、状況が改善される見込みもなく、また、自分自身の勉強の苦手さや頭の悪さなんかも相まって、あまり将来に明るい希望を持てる訳でもなく、でもいつかは普通の家庭の幸せを自分で手に入れてみたいという相反する思いを抱えての悩みだったような気がします。
そう、思春期のあの頃というのは、自分にも自信が持てず、そうかといって、これから先の将来には何かしらの望みを持って生きていきたいという大きな矛盾めいた葛藤を抱えて生きていたように思うんですよね。
現実を見れば、貧しい家庭環境と、頭の悪い飲み込みの良くない自分がいて、でも、現実を逃避するようにカッコ良さを求めたり、漫画やゲームの世界なんかに憧れを抱いてみたり、夢中になってみたり、なんだかそんな風に過ごしてきた気がします。
あの中学のころの僕は、浦沢直樹先生の「マスターキートン」という漫画に夢中になっていて、考古学者で就職難民で、副業で保険会社の調査員をやっている男やもめの主人公がとても大好きでした。
あの漫画の国際情勢や、世界史の醸し出す独特の世界観にハマってしまい、以降僕はどっぷりと世界史の魅力に入り込んでいくのですが、結局僕は古代史ではなく、近代史、特に第一次世界大戦と第二次世界大戦に執着してしまっていましたね。
そう、結局そうやって、自分の好きなもの、カッコ良いと感じるものを追い求めていくうちに、世界が広がっていって、それまでの悩みをやり過ごしてきたんですよね。
別にだからといって、根本的な解決には至らないんですけどね(笑)
でも、僕の場合、結局そうやって好きなことを見つけられて、とても良かったと思っていますし、そこから得られたパワーは計り知れないと思っています。
現に、こうやってあの時どうしても欲しかった普通の家庭の幸せというのも、今はちゃんと手に入れることができたと思いますし、結果オーライです(笑)
まあ、シングルマザーの母の貧しさというのは、結局いまでもずっと引きずっている問題なんですが、母も僕も弟も、いまでもなんとか貧しいなりにそれなりに暮らせていますし、僕も弟も、曲がりなりにも所帯を持って、普通の家庭を持って暮らせているわけなので、その辺は心配するほどのこともなかったのかもしれません。
きっとこれからも、こんな風に日々は続いていくのでしょうし、僕自身そうなるようにこれからもやっていくつもりでいます。
以上、僕が思春期だったころに抱えていた、漠然とした悩みごとについてという話題でした。